2008年05月23日
ドイツ軍団の変遷
ここでは何が起こっていたのでしょうか。
概要
ドイツ空軍の組織の序列を示すと、航空艦隊の隷下に航空軍団、飛行師団、航空団、飛行隊、飛行中隊と分かれている。航空艦隊というのは受け持ちの地域別に分けたときの呼称であり、開戦当時は第4航空艦隊まで存在していた。1940年に新設された第5艦隊は、第2、第3艦隊とともにバトル・オブ・ブリテンに参加している。1944年には本土防空部隊が登場し、航空軍の中でも航空艦隊並みの扱いで、別格の立場を築き上げた。最盛期には7つの航空艦隊に、本土防空隊を加えた大所帯へと発展するが、末期にはハンガリーからオーストリアに展開した第4航空艦隊と本土防空部隊までに縮小した。
実際の作戦は師団単位で行われた。しかしながら、開戦当時は空軍の編成は未完了のままであり、戦闘機部隊にいたっては編隊単位での指揮しか行えなかったのが実情であった。さらには組織の命令伝達システムも複雑であった。OKL→航空艦隊→航空軍団→航空師団→野戦部隊に伝達されるようになっていたが、その航空軍団という大規模な組織であっても専門的で、諸兵科のバランスの釣り合いが悪く、航空軍団は各地の戦線に赴いていく中で地域別の縛りが希薄になっていった。また戦力の減耗に伴って中隊単位での扱いが多くなっていった。
路とソビエト空軍の頑強な抵抗はドイツ空軍の戦力を消耗させた。包囲されたドイツ陸軍に対し懸命の空中補給も行われたが、戦況を好転させることはできなかった。なによりも教官をつとめるパイロットを多数失ったために、このあとのパイロット育成システムに大きな問題を残す事になる。1943年にはクルスクに対する夏季攻勢が行われた。3倍、4倍の数を撃墜してもなお迫り来るソ連の物量に、ドイツ空軍は最後まで航空優勢を維持する事ができず、戦力に大きな差ができつつあることが明らかになった。ウラルにあったソビエトの国営工場などに空襲ができなかったことに加え、大戦末期の日本にも見られた『モックアップ・ファイター(木製戦闘機)』なども急速にソ連空軍の戦力として増加したためである。結果的に、イタリア半島に連合国軍の上陸によって作戦は中止され、これ以降、ドイツは急速に戦力を減耗していく事になる
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